2011年12月31日土曜日

2010年度 Vol.58-No.4

2010年度<VOL.58 NO.4> 特集:歴史に学ぶリーダーシップ  


12・3・6・9月(年4回)刊
編集 一橋大学イノベーション研究センター
発行 東洋経済新報社

2010年度<VOL.58 NO.4>
特集:歴史に学ぶリーダーシップ「失われた20年」ともいわれる停滞のなかで、日本には閉塞感が漂っている。しかし、明治以降の激動の時代を乗り越えてきた経験を見れば、われわれには、まだまだできることがあるのは明らかだ。本特集では、近代日本が直面した数多くの苦難の歴史を踏まえて、危機突破のためのリーダーシップについて考える。経営史の専門家たちが、実例とデータに基づいて実証的に分析する。
米倉誠一郎(一橋大学イノベーション研究センター長・教授) 志士から日本人へ──外交官・大隈重信
 
  名もない佐賀藩士であった大隈重信は、藩政改革のなかで最新の西洋に関する知識を学び、その知識をもとに長崎臨時政府での活躍を認められて、中央政府に抜擢された。大隈は、帝国主義的野心を抱いて一方的価値観を押しつける列強諸国と対峙することで、志士から日本官僚・日本政治家へと脱皮し、国の基本の確立に奔走した。幕末においてこれといった活躍をしてこなかったにもかかわらず、維新後急速に明治政府の表舞台に登場し、その初期外交と初期財政の中核を担うに至った大隈を支えたのは、この列強対峙の姿勢である。外交の基軸を失い、財政規律を世界のなかで考えることができなくなっている日本。国の基本は外交であり財政であることを、大隈重信に学ぶべきときが来ている。
橘川武郎(一橋大学大学院商学研究科教授) なぜ松永安左エ門は2度敗北したか
  「電力の鬼」と呼ばれ、今日も続く民有民営の9電力体制(現在は沖縄電力を加えた10電力体制)の「生みの親」となったことで知られる松永安左エ門。9電力体制をスタートさせたのは1951年の電気事業再編成であったが、松永は、それより23年も早い1928年に、9電力体制の構築を提唱していた。しかし、この提唱は、すぐには実行に移されず、その間に松永は、①戦前の電力国家管理論争における敗退、②戦後の電気事業再編成審議会における松永プランの不採択、という2度の敗北を体験した。松永は、なぜ敗れたのか? 本稿ではこの点を掘り下げることによって、リーダーに求められる資質に光を当てる。
川合一央(岡山商科大学経営学部講師) 歴史が生んだ偶然──倉田主税の生涯
  GHQ主導の公職追放によって、戦後日本の多くの大企業から多数のトップ経営陣が追放された。日立製作所でも、創業者兼経営者の小平浪平以下、16人が追放された。そのとき社長に就任したのが、残った役員のなかで最年長だった倉田主税である。追放という出来事がなければ、一工場長としてキャリアを終えたかもしれなかった倉田だが、社長就任後は、戦後の混乱から日立を守り抜き、事業再編と経営の合理化を推し進めた。本稿では、このような歴史が生んだ偶然によって後に生きるわれわれが確認できるようになった、現場のリーダーとして活躍した時代の倉田に焦点をあわせる。そしてその行動の内実に迫ることを通じて、リーダーシップについて考察してみたい。
清水洋(一橋大学イノベーション研究センター専任講師) 科学技術におけるコミュニティ構築のリーダーシップ──林厳雄と半導体レーザー
  半導体レーザーの技術開発において日本企業は、アメリカの企業や大学と競争してきたものの、1970年代中頃までは、重要な技術開発はすべてアメリカに先を越されていた。日本企業がその技術力で世界に追いついていくのは、1970年代に入ってからであった。この時期に、日本企業が揃って技術力を向上させることができたのはなぜか。それはもちろん、それぞれの研究グループの研究開発の成果である。しかしその背後には、企業の境界を超えた研究者のコミュニティがあり、研究開発の大きな推進力となった。このコミュニティは1970年代に自然発生的に出てきたのではない。ベル研究所から日本電気のフェローとして帰国した研究者・林厳雄が重要な役割を果たしていたのである。
島本実(一橋大学大学院商学研究科准教授) 出光興産の自己革新──出光佐三の理念、天坊昭彦の合理
  国内売上高第2位の石油企業・出光興産は、かつてはサントリーや竹中工務店と並ぶ日本の三大非上場企業といわれていた。その非上場路線は、創業者の理念を反映したものであった。経済が右肩上がりに成長する時代にあっては、事業拡大によって成長を図る同社のビジネスモデルはうまく機能していた。地価が上昇を続ける時代にあっては、土地を担保とした借り入れが容易であり、直接金融による資金調達は、投機目的の株主の干渉を許す「経営者の責任放棄」とさえ考えられていた。1990年代に入って日本の右肩上がりの経済成長が終わり、地価が大幅に下落すると、同社は深刻な財務危機に陥った。その危機をいち早く察知してアクションをとったのは当時、経理部長だった天坊昭彦であった。本稿は、同社が1990年代の財務危機を克服し、さまざまな社内の革新を経て2006年に上場を果たした経緯を明らかにする。
●ビジネス・ケース
鈴木信貴/小林英一/高瀬良一(東京大学ものづくり経営研究センター特任助教/大和総研 企業経営コンサルティング部 シニアコンサルタント/京都大学大学院経済学研究科修士課程修了)
ヤマハ──電子ピアノ市場への参入とその競争プロセス
  日本における電子ピアノの歴史は、1962年にコロンビアが電子ピアノを発表したことによって始まる。その後、1973年にはローランドが、1976年にはヤマハが電子ピアノ市場に参入した。その後もエレクトロニクス・メーカーの新規参入が続いたが、ヤマハは、ピアノの芸術性を活用した戦略によって競争優位を築いた。本ケースは、アコースティック・ピアノを専門としていたヤマハの電子ピアノ市場への参入とその後の競争プロセスについて論述する。
●ビジネス・ケース
福島英史(法政大学経営学部教授)
東京電力・日本ガイシ──電力貯蔵用NaS電池の事業化
  電力貯蔵用ナトリウム・硫黄電池(NaS電池)は、商用に量産・販売されている数少ない電力貯蔵用電池の1つである。1960年代後半頃から日米欧のさまざまな企業が開発に取り組んだものの、ほとんどが頓挫した。東京電力と日本ガイシは共同で開発を進め、最後発の開発主体であったにもかかわらず、世界で初めてNaS電池の事業化に至っている。両社のプロジェクトが、長期の開発期間を経て事業化に結実したのはなぜか。そのカギは、国による支援と調整からは距離を置き、あくまで「事業化」を前提としていたことにある。
●技術経営のリーダーたち(10)
 戸田雄三(富士フイルム株式会社 取締役常務執行役員)
       インタビュアー・延岡健太郎/青島矢一
 「『やれ』を『やりたい』に 会社の目標を、自分の目標に置き換えろ」
●コラム連載:「人勢」議論(5)
 金井壽宏 「臨床の知、ポジティブ心理学、そして新たな組織開発」
●私のこの一冊
 小池和男 「古今の英知から導かれる啓示:猪木武徳『経済思想』」
 榊原清則 「「私とは何か」の深層を解き明かす:河合隼雄『無意識の構造』」
●マネジメント・フォーラム
 奥山清行(工業デザイナー/KEN OKUYAMA DESIGN代表):
       
インタビュアー・米倉誠一郎
 「世界を舞台に活躍する工業デザイナーが語る──日本のリーダーたちに欠けているものとは」
●用語解説
 九門崇 「BOP」
●PORTER PRIZE 2010
 大薗恵美 「第10回 ポーター賞受賞企業に学ぶ」
●投稿論文
 延岡健太郎 「積み重ね技術の重要性──持続的な競争力をもたらす技術戦略」



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